
ラザロの蘇生(三連祭壇画中央パネル)
18世紀までフィレンツェ近郊ムジェッロのフランチェスコ会修道院に置かれ、アカデミア美術館を経て1841年にウフィツィ美術館所蔵となった作品。
ネーデルラント風の三連祭壇画で、中央パネルに「ラザロの蘇生」、左翼に「キリストの前でのマルタ」、右翼に「キリストの足に香油を塗るマグダラのマリア」。閉扉時は左翼に立つ聖母子を右翼の二人の従者を従えた高位聖職者が拝跪している。
外側2図の下辺にラテン語で「ニコラウス・フルメンティが1461年5月18日に完成した」と記されている。フランチェスコ会修道院の16世紀に書かれた年代記に、フランドルから来た教皇特使によって、この祭壇画がコジモ・デ・メディチ(老コジモ)に贈られ、コジモが修道院に奉納したという記録がある。
後にこの作品と15世紀後半のピカルディーで制作された絵画との様式的関連が認められ、フロマンがピカルディー出身でネーデルラントでロヒール・ファン・デル・ウェイデンの影響を受けながら修業した、と考えられている。フロマンは南フランスのユゼスに移住し制作活動を始めている。
世界美術大全集10 ゴシック2 1460年代
ラザロの蘇生(三連祭壇画中央パネル)
フロマン 1461年 板 175×266cm(全体)
フィレンツェ ウフィツィ美術館
ネーデルラント風の三連祭壇画で、中央パネルに「ラザロの蘇生」、左翼に「キリストの前でのマルタ」、右翼に「キリストの足に香油を塗るマグダラのマリア」。閉扉時は左翼に立つ聖母子を右翼の二人の従者を従えた高位聖職者が拝跪している。
外側2図の下辺にラテン語で「ニコラウス・フルメンティが1461年5月18日に完成した」と記されている。フランチェスコ会修道院の16世紀に書かれた年代記に、フランドルから来た教皇特使によって、この祭壇画がコジモ・デ・メディチ(老コジモ)に贈られ、コジモが修道院に奉納したという記録がある。
後にこの作品と15世紀後半のピカルディーで制作された絵画との様式的関連が認められ、フロマンがピカルディー出身でネーデルラントでロヒール・ファン・デル・ウェイデンの影響を受けながら修業した、と考えられている。フロマンは南フランスのユゼスに移住し制作活動を始めている。
世界美術大全集10 ゴシック2 1460年代
フロマン 1461年 板 175×266cm(全体)
フィレンツェ ウフィツィ美術館
